靖国神社
なんとか帰宅できることになりましたが、仕入をするには頼りない所持金。
せっかく草莽堂さんや総研さんに今日の仕入ルートを考えてもらったというのに、情けない気持ちと申し訳ない気持ちが溢れてきます。
色々考えた結果、仕入は断念して靖国神社を参拝することに。靖国参拝も今回の目的の一つでしたから、せめて参拝だけはしていこうと決めました。
渋谷から地下鉄に乗り九段下へ。外に出ると壮大な鳥居が目に飛び込んできます。長い参道を歩き、いよいよ念願の参拝。二礼二拍手一礼。
自らの意思や感情を押し殺して祖国のために命を捧げた英霊達を思うと、先ほどのスリ被害なんてどうってことないと感じます。多分10分はいたと思います。
子供の頃に聞いた祖母の弟の戦死を思い起こし、改めて深々と一礼。
参拝後は草莽堂さんから勧められていた遊就館見学に。数多くの資料の中にある数あまたの遺書。かつて読んだことのあるもの、初めて見るもの、その一つ一つに目を通し、英霊を思うと涙がこみ上げてきます。
最後に目にした回天のところまで来ると悲しみが怒りに変わっています。「なぜ戦争なんてするのか?」「国同士のエゴのために散った英霊を祀り参拝することがどうして他国から批判されることなのか?」
様々な怒りがこみ上げてきます。靖国神社を参拝し二度と過ちを繰り返さず平和を願うことがどうして軍政復古につながると言うのか。靖国神社が廃れてしまった時こそ再び悲劇が訪れるのではないかと。
中国や韓国は、我々日本人が英霊を思う気持ちや平和を願う気持ちを失わせたいということなのでしょうか。平和を願わず過去の過った時代の風潮を取り戻させようということなのでしょうか。平和思想の侵略を図っているのは中国や韓国ではないのでしょうか。
平和を願う気持ちはいつまでも変わりませんが、もし中国や韓国の言いがかりによって再び交戦状態になってしまったとすると、私は喜んでこの身を捧げますね。
私にとっては左翼思想の方が危険な好戦論者だと思っています。
遊就館の最後に置いてあった数々のノート。私も一筆したためていこうとペンを手にしたのですが、考えれば考えるほど何を書いて良いか分からなくなっていきます。
私の陳腐な一筆より、もう一度しっかり参拝していこう。そう決めてノートを閉じました。私にとっては本当に貴重な数時間となり、靖国神社を後にしました。
あの巨大な鳥居の外に出ると、それまでは全く気にならなかった暑さが帰ってきました。夏ももうすぐ終わりですね。