悪評価

自分に落ち度がない場合で受ける筋合のない悪評価を受けた場合はたぶんこういった感じのメールを送ると思います(今までまだ幸いに受けてないンですよ、だいたい自分にどこか落度があるわけです


私が先日訴訟を起こしたのも、自分に落ち度がないと自負していたからこそ起こしたわけで、実際に訴状を提出するまでにアマゾンと数度に渡って評価に関するやり取りをしました。

Amazon.co.jpに評価の削除の依頼をお願いしたいと思います。


私の場合ですが、評価者および被評価者いずれからの申し出であったとしても、「アマゾンは評価を削除しない」と電話で明言されています。2chでは削除実績があるという書き込みを見たことがありますので、どの程度で削除対象となるのか分かりませんが、本質的に評価の削除はなされないと考えた方が良さそうです。

また、仮に評価者が削除依頼をしたとしても、それが事実であるという保証は一切ありません。アマゾンはアカウント所有者に関する情報以外は一切漏洩しない方針で徹底されており、仮に購入者が評価の削除依頼をしてくれたとしても、そのような事実があったかどうかを出品者は知る術がありません。削除依頼をしてくれたことを知ることができるとすれば、現実に評価が削除された場合のみだと思います。

Amazon.co.jp は任意の理由によって、参加者の方にサービス利用をお断りする場合があります。


今回の訴訟で、私がアマゾンを一被告として名を連ねなかった理由は、訴状提出前に記していますが、まさにこの条文の適用を畏れたからです。

規約を読めば読むほど、アマゾンが言う「参加者」とは出品者のみであり、購入者のことは一切視野に入れていません。訴訟前後に読んだアマゾン・ドット・コムの光と影―潜入ルポでも明らかですが、アマゾンの体質は盲目的に購入者を肯定するところからその存在価値を有しています。

つまり一般的に間違っていると言えるようなことでも、アマゾンの購入者に限っては、全て購入者の言い分を認め、それに平伏すのが、アマゾンサービスの原点として位置づけられています。それがアマゾンのCSであり、変え難い基本方針であるわけです。

象徴的な事例として挙げられるのは商品到着後1ヶ月以内の返品は無条件で受け付けるというものです。常識的に考えてこのようなサービスはありえるでしょうか。アマゾンが取り扱っている商品は消耗品ではありません。購入した本を読み終えたり、DVDの観賞が終わったら、無償で返品・返金を受け付けるというのです。

このような考え方を当然としている企業にとって、出品者はたとえ売却時に15%の手数料を徴収されているとはいえ、アマゾン側と同じ立場を強いられるわけで、購入者と同等にみなされることはありません。

「じゃあ、購入者が刃物を持って私の自宅に乗り込んできて、返品・返金を要求してきた場合、警察を呼んでも良いんですか?」

「購入者とトラブルがあった時は、まず当社にご連絡を下さい。それ以外の方法で対処された場合には、一切補償の対象とならないことをご了承下さい。またあなたの不適切な処置によって購入者に不利益が生じた場合には出品者アカウントの削除の可能性があることを忘れないで下さい」

こういうことを平気で言うのがアマゾンなのです。アマゾンにとってアカウント削除の対象として見ているのは出品者のみなのです。

ちなみにアマゾンと同じように盲目的に顧客至上主義を貫くことで有名な価格破壊タクシー会社があります。

かつて私はこのグループ会社で乗務していた経験があるのですが、そこで遭遇した恐るべき出来事は、年末恒例(笑)のタクシー強盗未遂に遭った乗務員が最寄の警察に駆け込んだ時のことです。結果として、運賃は支払われず、その乗務員は会社から厳しい叱責を受けました。

「もしかしたら、最終的に運賃を払ってくれたかもしれない乗客を警察に突き出すとは何事だ。お前は貴重な売上を減少させた不届き者だ」

この話の恐ろしいところは、現実として乗り逃げ行為を受けているにも関わらず、警察に突き出したことを会社が責めているところです。

アマゾンと似ていると思いませんか?


顧客優先主義の恐ろしさが滲み出ていると思います。